地ノ神鹿踊のルーツ

大原山口系…享保年中(1716-1735)以降、山口屋敷(岩手県一関市大東町大原山口)の又助が行山流山口派の祖として、またその子の山口喜左衛門が現、岩手県の江刺、東磐井・気仙各郡及び宮城県気仙沼市早稲谷辺りにかけて、この系統の伝播に重要な役割を果たした。

山口系の鹿踊は、ここから江刺郡の歌書や地ノ神に、また東磐井の折壁、曽慶、渋民、大木、前田野の各所に、気仙郡の舞出、生出、坂本の各鹿踊へと広範囲に伝播していった。 

地ノ神鹿踊とは

文政4年(1821)年8月に、東磐井郡大東町(現一関市)の山口屋敷・喜左衛門から、伊手地ノ神の円蔵に伝授され、現在に至っています。

ゆったりとした踊り方と細やかな足さばきが、行山流山口派の当時の特徴を残していると言われております。

昭和52年3月31日に、旧江刺市の無形民俗文化財に指定されています。

装束…装束は中立、女鹿の流しには行山流山口派の象徴でもある和歌『陸奥濃信夫牡鹿廼牝鹿乃里聲遠楚呂遍天阿曽婦志加可毛』(みちのくのしのぶおじかのめがのさとこえをそろえてあそぶしかかも)を大書きし、側鹿は倶利伽羅剣が描いてあります。

中立、女鹿の幕垂には『行山』『地ノ神』の大書と仙台伊達家由来の九曜・竹雀紋、そのほか鶴丸・八つ槌車・倶利伽羅剣・鱗紋を付し喉紋は井桁繋に九曜紋を施してあります。

大口袴は中立・女鹿は熨斗、側鹿は牡丹。背面は唐獅子牡丹が染めてあります。