行山流高瀬鹿踊(住田町下有住字高瀬)

月山神社で踊るため月山鹿踊とも称される。

文化7(1810)年、下清水の忠吉が江刺区伊手へ出稼ぎした時に、伊手の地ノ神屋敷の遠藤金蔵からこの鹿踊を伝授した。

文化10(1813)年にも、若者らが高瀬に金蔵を師匠として呼び伝授を受けたという。

装束として、前幕には九曜紋と9つの井桁つなぎの左右に、縦に月山の文字。その左右に大きく九曜星。その下に花の丸紋、横後方に鶴丸の紋。垂袖は三角鱗文が付き、後ろにまわして流しの上で結ぶ。

行山流角懸鹿躍

文久3(1864)年、伊手地ノ神より角懸村土尾の萬平等が伝授を受け、土尾屋敷幸八が明治3(1870)年2代目行山流角懸鹿躍として、伊手地ノ神円蔵氏より巻物一巻を拝受させられる。昭和56(1981)年7代菊池金夫が復活させ、平成2(1990)年8代菊池清友継承。平成23(2011)年9代菊池淳が継承し現在に至る。

装束は幕垂に九曜・日の丸扇・波兎・鱗紋、喉紋は井桁繋に九曜紋が付され、大口袴の前面には車紋と蝶紋、背面は唐獅子牡丹を染める。流しには行山流山口派の象徴である和歌の他、「富士の巻狩図」を描き「行山」の文字を施す。